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「もののあはれ」 — 現代映画が描く日本的感性
文化と思想

「もののあはれ」 — 現代映画が描く日本的感性

2026年4月9日 · 読了時間 約9分 · Japanova編集部

是枝裕和、濱口竜介、河瀨直美。彼らの映画には共通する「もののあはれ」の影が見える。千年以上前に生まれたこの美学が、なぜ21世紀の映像表現で蘇るのか。

是枝裕和『万引き家族』のラストシーン。少女が高い窓の柵越しに、外の世界を見つめている。彼女の視線の先に何があるのかは映されない。観客には、ただ彼女の表情だけが残される。この映像のあり方を、なぜ多くの観客は「日本的」と感じるのか。同じ時代に活動する濱口竜介、河瀨直美、是枝裕和。世代も作風も異なる三人の監督に共通するのは、登場人物の心の内面を直接的に語らない、という映像の作法である。そしてその作法は、千年以上前に生まれた一つの美学的概念に深く根ざしている。「もののあはれ」である。

「もののあはれ」とは何か

「もののあはれ」という言葉は、平安時代の文学、特に『源氏物語』を読み解く鍵として、江戸時代の国学者・本居宣長が体系化した概念である。「あはれ」とは感嘆や情緒を表す言葉で、本居はこれを「事物に触れて自然に湧き上がる、深い感情の動き」と定義した。重要なのは、この感情が必ずしも喜びではなく、しばしば「儚さ」や「無常」と結びつくことだ。

桜の散り際を美しいと感じる感覚、別れの予感を含んだ静かな会話、過ぎ去る季節への淡い哀しみ。これらが「もののあはれ」の典型的な情景である。重要なのは、この美学が「悲しい」とか「美しい」といった単純な感情ラベルに還元されないという点だ。複数の感情が同時に存在する、その複雑性こそが本質である。

是枝裕和 — 家族の崩壊と再構築

是枝裕和の映画には、ほぼ一貫して「家族とは何か」という問いがある。『誰も知らない』(2004)では、母に置き去りにされた4人の兄妹のサバイバル。『そして父になる』(2013)では、出生時の取り違えによって直面する「血縁か養育か」の選択。『万引き家族』(2018)では、戸籍上の血縁を持たない6人の「疑似家族」。そして『怪物』(2023)では、複数の視点から一つの事件を見つめ直す構造。

これらの作品に共通するのは、結論を観客に委ねるという姿勢である。是枝の映画では、登場人物の内面が決して「説明」されない。彼らは物語の中で行動し、選択し、時に泣くが、その行為の意味を観客に語ることはない。観客は、わずかな表情、視線、間によって、自ら推し量るしかない。

FILMOGRAPHY

是枝裕和の長編劇映画は1995年の『幻の光』から2023年の『怪物』まで14本。うち5作品がカンヌ国際映画祭の公式部門に選出。『万引き家族』(2018)はパルム・ドール受賞。

濱口竜介 — 言葉と沈黙の往復

濱口竜介の映画は、是枝とはまた異なる方法で「もののあはれ」に接近する。『ハッピーアワー』(2015)、『偶然と想像』(2021)、『ドライブ・マイ・カー』(2021)。彼の映画では、登場人物が長い時間をかけて言葉を交わす。だがその言葉は、しばしば伝達ではなく、伝達しきれないものを輪郭づける装置として機能する。

「ドライブ・マイ・カー」の沈黙

村上春樹の短編を原作にしたこの作品で、最も印象的なシーンの一つは、車内での沈黙の時間である。主人公の家福と、若いドライバー渡利。二人は時に話し、時に黙る。北海道へ向かう長い夜のドライブで、二人は互いの過去を少しずつ明らかにする。だが本当に重要なことは、決して直接的には語られない。沈黙の中にこそ、二人の関係の真実が浮かび上がる。

感情を、言葉で説明するのではなく、観客が画面の余白の中に感じ取る。それが日本映画の伝統だと思います。

— 国際映画祭プログラマー、40代

河瀨直美 — 自然と時間

河瀨直美の映画は、奈良という土地と深く結びついている。『萌の朱雀』(1997)、『あん』(2015)、『朝が来る』(2020)。彼女の作品では、自然の風景が単なる背景ではなく、登場人物の内面と等価な存在として映される。風に揺れる葉の音、川の流れ、季節の移り変わり。これらが映像の中で時間の経過を伝える。

『あん』では、ハンセン病の元患者である老女の手元、桜の花、どら焼きを焼く音が、丁寧に映される。物語のクライマックスでさえ、彼女のカメラは穏やかであり続ける。それは、登場人物の人生に寄り添いながらも、「人間の苦悩」だけが世界の中心ではない、という視座を示しているように見える。

三人に共通する映像言語

世代も方法論も異なる三人の監督。だが彼らの作品を並べたとき、いくつかの共通点が浮かび上がる。

  1. 01

    説明過多を避ける

    登場人物の心情や動機を、台詞や独白で説明することを徹底的に避ける。

  2. 02

    「間」を許容する

    沈黙、無音、静止のショットを、ハリウッド的編集よりもはるかに長く保持する。

  3. 03

    結論を委ねる

    物語の解釈を観客側に開いたまま終わらせる。明確な結末を提示しない。

  4. 04

    自然と日常を等価に扱う

    登場人物のドラマと、風景や日常のディテールが、同じ重さで映される。

なぜ今、世界で評価されるのか

2018年から2024年にかけて、日本映画は国際映画祭で異例の評価を受けた。『万引き家族』のパルム・ドール、『ドライブ・マイ・カー』のアカデミー国際長編映画賞、『PERFECT DAYS』(ヴィム・ヴェンダース監督)のカンヌ最優秀男優賞。これは偶然の連鎖ではなく、世界の観客の感性の変化と関係している。

情報過多の時代、即座の感情的応答を要求するコンテンツが氾濫する時代。その対極にある「説明しない」「結論を委ねる」「ゆっくりとした時間」を持つ日本映画は、むしろ新鮮な体験として受け止められるようになった。「もののあはれ」という千年前の美学が、デジタル時代の映像表現の中で蘇ったのは、こうした文脈においてである。

編集部より

本記事は美学的な観点からの解釈であり、各監督の作家性を一つの概念に還元することを意図したものではありません。是枝・濱口・河瀨の各監督は、それぞれ独自の主題系を持っています。「もののあはれ」は、その共通する一面を理解するための一つの補助線です。

これからの日本映画

2026年の現在、これら三人の監督に続く新しい世代が登場している。早川千絵、岨手由貴子、三宅唱。彼らの作品もまた、「説明過多を避ける」という日本映画の作法を引き継ぎながら、新しいテーマと語り口を模索している。「もののあはれ」は、伝統として保存されるのではなく、現代的な感性の中で常に更新されている。それが、千年以上にわたってこの美学が生き延びてきた理由かもしれない。

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Japanova編集部

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